軽視しないで、観察調査

 

人間社会には法則や真理があり、
それは不変だから、確かめる度に
繰り返し確認できる!

自然科学(例 物理学)を
手本とする社会科学は、
そんな暗黙の前提に固執しがち。

この頑な態度は、ときとして、
結果を再確認できない研究方法を
小馬鹿にします。

「それはさ、科学的じゃない」

とか、なんとか仰って。

 

「危ういよ」

アメリカの社会学者
ハーバート・ブルーマーさんは
そう警告します。

彼の言葉を少し引用します。

 

「前提、問題、データ、その関係、
解釈そして概念は、ほとんどいつでも、
所与として受け入れられ、経験的世界との
関連で直接の検証にかけられることは
ほとんどない。反対に、最近の方法論では
(中略)他の方法を重視している、この、
支持されて広く使用されている方法とは、
次のようなものである。
(a)科学的な標準的方法手続きprotocol
   採用する、
(b)調査研究の再試replicationを行う、
(c)仮説の検証testing of hypothesisにたよる、
(d)いわゆる操作的手続き
   operational proceduresを採用する。」
(後藤将之訳『シンボリック相互作用論』
 勁草書房、1991年版、p36より)

↑:教科書の記述、そして有名な論文や仮説を
  現実と照らし合わせることなく「当然」と
  みなす危険についての指摘です。

 

ブルーマーさんは、とくに社会科学と心理学が
危ういと見ています。その部分の引用です。↓

「社会科学および心理学には、
広く受け入れられ、深く根づいた信念がある。
すなわち、適切な標準的調査手続きとして
共通に受容された方法は、経験的世界に対して
妥当する結果を、自動的に産出するものだ、
という信念である。こうした標準的手続きは、
学生に対して調査のモデルとして示されるし、
調査研究の評価にあたって、研究者や編集者
(注:学術誌の編集者を指すと思われる。
矢嶋による加筆)
が一般的に使用している。」
(同書p37より)

↑:大学の講義は、こうした手続きの上に
  築かれる危険があるという指摘です。
  放っておくと研究がダメになると
  ブルーマーさんは言うのです。↓ 

「科学的な標準的手続きを採用すること、
再試をおこなうこと、仮説の検証、
そして操作的手続きの使用は、
真正の経験的社会科学が要求する
経験的な適切性を与えるものではない。
それらは、前提、問題、データ、その関係、
概念、そして解釈が経験的に適切である
という、どんな保証も与えないのである。
ごく簡単にいえば、この保証を手に入れる
ためのただひとつの方法は、経験的社会的
世界に直接行ってみることである。
(中略)研究されている経験的領域が、
実際に、その研究者が持つそれについての
背後的イメージに対応しているかを
確認しようとする勤勉な努力は、
ほとんどみられない。」
(同書p41より)

↑:標準的手続きに従っていればOK。
  実際がどうであろうと関係ないのさ!

  社会科学や心理学の研究者(≒学者)って
  机上の空論、世間知らず、になりがち!
  ヤバいね!と指摘しているのです。

 

さて、観察調査の話です。

観察調査は、=その場の観察なので
再試できません。
上記の「標準的手続き」に不適。
ですから一部の学者様は軽視します。

必然、ブルーマーさんのアドバイス
「経験的社会的世界に直接行ってみる」
無視されがち。

行ってみないと、
わかるはずないのですが…。

 

その結果、何が起きたでしょう?
社会科学(とくに社会学)は
現実から遊離しました。

社会の描き手は、
ドキュメンタリー番組、
ノンフィクション・リポート、
社会小説になっていきました。

例 マイケル・ムーアさん
   『シッコ SiCKO』(映画)
  堤未果さん
   『ルポ 貧困大国アメリカ』(新書)

 

マーケティング研究も結構危うい。

有名な学者・本・論文から出発し、
同じ現象が「ここでも(例 日本でも)」
で満足な場合はとくに。

 

どうぞ、みなさんは、
そんな愚に囚われないで
ください。

 

軽視しないで、観察調査。
というお話でした。

『観察調査のすすめ』書き下ろしを機に
書いてみたくなりました。