監督は、
マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール
Marie-Castille Mention-Schaar さん。
彼女は、人物よりストーリー、
ストーリーより社会、を描く人で、
「こういうの、いいんじゃない!」が
作品メッセージになっています。
この『パリの家族たち』、
(原題、母の日 La Fête des mères)も
そんな作品です。
予告篇はこちら。
ご覧の通り、プロモーションでは
「女性」「母親」を強調していますが、
実際は、そんなことありません。
多くの人の人生が描かれています。
女の、男の、子どもの、老いた人の…。
それぞれの人生を結ぶノードnode が
母親な、だけなのです。
母親の、母親が、母親で、
母親に、母親は、母親へ、
母親と、母親を、… 。
それぞれの人生がスクリーンの中で
輪舞 rondeau しています。
そこには、夫や息子の人生も
あるのです。
そんな人生のクロスオーバーを
(:別々のストーリーが
人がすれ違う程度に
重なり合う)
彼女は「母の日」として描いたのです。
ここがフランス的かもしれない!
と思わせる所は、個の強さ。
自分があって、母親があります。
仲良し母娘ステキ! でもなく、
賢母礼賛 でもない。
このクールさに
愛情が流れ込んでくる。
そんな雰囲気の作品です。
残念なのは邦訳題
どうしてタイトルを
『パリの…』にしたのか?
タイトルは原題通り『母の日』もしくは
そのカタカナ読み『フェットゥ デ メー』のほうが
内容が伝わると思います。
この辺りの、「おふらんす」感覚が
作品紹介の妨げになっている
(:必要と配給サイドが考えている)
とすれば、
日本ってまだまだ、な感じがします。
そうそう (余談です)
途中のシーンで、通りの向こうから
若い、妊娠した女性が歩いてくるんです。
彼女、『奇跡の教室』で教室の一番前に
座っていた人に似てました。
(ご本人かなぁ?)
『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』
(原題 Les heritiers 後継者たち)も
彼女の作品です。
と色々、書き散らしましたが、
大人のドラマ、よい作品です。
機会があれば。お薦めします。
