「考える」を考えてほしいのだ

 

「考える」って、

する/しない、は自由。
しなくても済むのですが、
(例 毎日、機械的に繰り返す)

すれば未知の世界に進出できます。
(例 初めてのケーキ作り)

で、問題はネット依存です。

ネット依存と言っても、
ゲーム廃人のような重い話ではなく、

ごくふつうの人の、暮らしそのものが
大なり小なりネット依存になっている。

そこが問題なのです。

わたしたちはみんな
そうなのですが、

わからないことを
ネットで調べます。

なんでも簡単に調べられるので、
知った時点で考えるは停止。

この状態がいつもだと、
人って次第に考えなくなります。

その必要を感じないから。

結果、自分で考えて!に
不慣れになり、
ひどく難しく感じるようになります。

難しいことはツラいので、
避けますよね。

で、意識せぬまま時が流れ、
考えたことのストックは増えず、
考えを持たぬ自分(=自分がない)に
ある日、突然、気づきます。

そしてパニックへ。
「流されるな」と自分に警告し、

「リアリティがない」
「雑談力が弱い」
と自分の問題点を指摘し、
日々、悲鳴を上げるように…。

この心理(漠然とした不安)を
利用する人も大勢いて、

書店に行けば、

「絶対に失敗しない…」
「世界でいちばん…」
「成功する…」
「……すべきこと」

なタイトルの本がずらり。

これじゃ強迫。

「あなた、
考えたり判断したりする必要なし。
我に従え!」

と言われているのと同じ。

ひどい有様。

こんな環境で過ごさざるを得ない。
それが現実。だから注意して生きないと。

「それは怖いなぁ」「嫌だなぁ」と思うので、
わたしは考えることにしています。

「そうなんだ!」と感心しつつ、
「じゃあ、これは?」と視界を広げ、
「こうだよ」な話に近づき、(本が多いかな?)
権威(例 大先生の言い分)を疑い、
「わたしの考えでは、まぁ、こんなとこ?」を
定めるように心がけています。

するとね、自分の考えができるから、
それがアンカー⚓
(船が流されないように水底に投じる錨)になって、
安定するっていうか、
人心地つけるっていうか、
落ち着けるんですね。

そして、そこからネットの情報、
たとえばWikipediaを読むと、
けっこう笑っちゃったりします。

「あはは、がんばれ〜」
「もうちょっと、ちゃんと書こうね」
って感じで。

そんな経験もふまえ、

考えるって大事だな!と思うし、

みなさんにも大事にしてほしい。

なので、
大学の教室で相談を
受けたことをきっかけに、
考える人を密かに応援する
サイトを作りました。

この「密かに」を
大切にしています。

強制したくないのです。

サイトに書いた20の話、その中に
考えるが苦手を解消する方法も
載せましたが、どうするかは
ご自身で決めて欲しいのです。

ですから、とくに宣伝もせず、
その場所だけを、今から書きます。

誰かが、なにかの機会に読んでくれたら、
もうそれで満足なのです。

I think でいこう
https://think.yajima-story.tokyo/

よかったら。