売茶翁(ばいさおう)は、スゴい人

ブログ・矢嶋ストーリーnewsの「売茶翁(ばいさおう)はスゴい人」という記事のOGP画像です。 この記事は、矢嶋剛がリスペクトしてやまない売茶翁、本名、柴山元昭さん をしています。そこで画像は伊藤若冲さんが描いた絵の一部を使いました。 今の画像は、福山暁菴編著『売茶翁』其中堂、1967年7月7日刊の表紙を 撮影したもの。若冲さんらしい筆致の中に売茶翁の気鋭や優しさが溢れています。

カッコいい人をお探しのみなさん、
こんにちは 矢嶋ストーリーの矢嶋です。

今日は、わたしがリスペクトする
売茶翁(ばいさおう。本名、柴山元昭さん。
江戸時代の禅僧)さんをご紹介します。

60歳を過ぎて、住職の地位(安泰)を捨て、
京都に上り、今まで学んだことを多くの人に
伝えるために、路傍でお手頃価格な
ストリート・カフェを始めた人です。

暮らしは貧しかったそうです。
でも気にしない、気にしない!

そんな気骨を、彼の漢詩、
過客頂知価半銭…に感じます。

彼は、伊藤若冲さんが肖像画を描く
くらいの有名人でした。

そんな彼のアレコレを、
以下の項目に沿って
紹介させていただきます。

では、さっそく。

こんな人です!

本名、柴山元昭さん。江戸時代の禅僧です。
1675年生まれ、1763年没。

伊藤若冲さんが描いた人物。
こんな容貌だったみたい。⤵︎

伊藤若冲画『売茶翁(本名、柴山元昭)』

(福山暁菴編著『売茶翁』の表紙より)

で、彼は何をしたのか?

売茶(=お茶を売る)の名の通り、
京の路傍で点てた茶を売りました。

現代風に言えば、
ストリート・カフェを始めたのです。

そして翁と呼ばれた通り、彼は老人です。

実は、60歳を過ぎたとき、住職を辞め、
この商売に転じました。

暮らしは貧しかったと云います。
テントのような組み立て式の庵に住み、
ときには食事にも困ったそうです。

彼は何を求めて、この生き方を
選んだのでしょうか?

住職でいれば、僧として
安泰の人生を送れたにもかかわらず。

答えは、彼の遺した漢詩にあります。

彼の漢詩に志が!(拙訳)

その漢詩には、こう書いてあります

過客頂知価半銭
(:通りすがりのお客様、
  みなが知っていますよ。
  値段はたったの半銭です)

一啜為君洗心腑
(:ひと口すすってください。
  あなた様のためです。
  心と体が洗われます)

拙訳で恐縮ですが、
この漢詩、意味から察するに、
彼のカフェにお客様を誘う
口上だったような気がするのです。

そのお茶の値段、
半銭(:一文銭の半分)は、
団子1串4文、そば1杯16文と比べても
かなり安い感じがします。

(1文25円とすれば、お茶1杯12.5円。
 団子1串4文=100円、そば1杯16文=400円)

(団子とそばの値段については、日本銀行の
 貨幣博物館のサイトを
 参照させていただきました。 →こちら

そんな安いお茶を提供し、
お茶を飲む人の発する疑問や悩みに
売茶翁は丁寧に答えたのでしょう。

それが漢詩にあった
洗心腑(:心と体が洗われます)
なように思えるのです。

当然、
もうかる商売ではありません。

つまり、
もうける積もりはなかったのです。

そして実際、もうかりませんでした。

彼は貧しいまま、死んでいきました。
後悔したか?は誰にもわかりません。

確かなのは、彼の生き方に
当時、
多くの人が心を動かされたということ。

当時の有名画家、
伊藤若冲さんの描いた肖像画は
そうした感銘の象徴なのです。

何のために学ぶのか?

わぉ😮、かっこいい!

売茶翁という人を知ったとき、
わたしは、そう思いました。

行動派だし、
肩書きや地位に執着しないし、
貧しくても気にしないし、

学びで金儲けしないし。

(古代ギリシャには、お金持ちだけに高額で
 授業をするソフィストと呼ばれる人たちが
 いました。ご存知?)

(そのソフィストたちを軽蔑し、望む人すべてに
 教育したのがソクラテスさん[B.C.370年没]
 でした。詳しくはクセノポン著
 『ソクラテスの弁明』をどうぞ!)

生意気を言うようですが、

望むすべての人に
学んだすべてを伝える!

が、学び本来の目的だと
思います。

こういうことを書くと
「そんなの分かってるよ」
と言われそう。

「理想はわかるけど、現実的に無理」
とも言われそう。

でも、
売茶翁は実行しちゃったんです。
60歳を過ぎて、住職を辞めて。
結果、貧乏になって死んじゃった。


なんか悟りの境地です。

悟りといえば、売茶翁は禅僧でした。

禅(ぜん)を学んでいました。

禅って、ちゃんと教える人がいないので
(坊さんが布教をサボっているとも言えます)

千利休さんの侘び寂びと混同している人、
かなりいますが、
いい機会なのでちょっと書くと、

世の中を良くするために(←仏教の目標)、
まず自分の内面を磨き上げる。
その手順を禅と言います。
(初心者は座禅から🧘🏽🧘🏽‍♂️🧘🏽‍♀️)

そして、内面をある程度磨いたら、
今度は「公案」と呼ばれる
「世の中を良くする」に
挑む段階へ進みます。

その「公案」を売茶翁は、

喫茶業を介し、会得した全てを
人々の意に沿う形で伝える道

とし、それを全うしたのでしょう。

すごい!👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾

ストリートカフェ、いいな!

と、リスペクトしまくりな、
わたしですが、

売茶翁さんがストリート・カフェ
というスタイルを選んだセンスにも、
👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾なのです。

学んだことを伝える
ポピュラーなスタイルは
学校 school ですが、
あれは制度。

制度には強制が
どうしても付きまとい…

「これを教えるよ」と
教える側が事前に設定。
(例 3時間目は図画工作の授業です)

だから、
なにを学びたいか?が
モヤモヤな人は
違和感を感じがち。

でもカフェなら、

「ちょっと知りたいなぁ〜って
 思って来たけど、
 なんか疲れちゃったから
 今日はやめて、🍵を飲んだら帰ろ!」

もOKだし、

「今から言うこと、
 よくわかんないかもしれないけど
 知りたいのはそういうことなんだから、
 がまんして、話、聞いて!」

もOKだし。

どんな人でも、感じたまま、
知りたいままに、質問を発せそう。

そんなカフェ。
お金が掛からず(🍵代、半銭)、
行きやすい場所にあれば。

実はわたしも、以前、
似たような場所(マーケティングの庵)を
開いたことがあるんですが、
実際にやってみると、なかなか難しく、
売茶翁さんのように行きませんでした。
(未熟者です😅)

でも今でも、(今だから、かな?)
売茶翁さんのスタイルが、
ほんとうに必要だと感じています。

大学もそうですが、
学びって、だんだんと

お金、時間、過去の蓄積(例 高卒)
がないと難しくなっている気が
しているんです。

学びたい人、
学校を離れても、
たくさんいるはずなのに。

そう思えば思うほど、
売茶翁さんを
リスペクトしてしまいます。

        矢嶋ストーリー
           矢嶋剛

P.S.
売茶翁さんに興味を持たれた人へ。

福山暁菴編著『売茶翁』が詳しいです。
紹介した漢詩も、この中に。でも
この本(1967年出版)、自費出版ぽく、
古本を探すしかありませんが、ぜひ!
表紙、⤵︎です。

売茶翁さん、いい顔してますよね!😊

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