矢嶋ストーリーの矢嶋です。
今日は、わたしがリスペクトする
売茶翁(ばいさおう。本名、柴山元昭さん。
江戸時代の禅僧)さんをご紹介します。
彼は、伊藤若冲さんが肖像画を描く
くらいの有名人です。
60歳を過ぎて、住職の地位(安泰)を捨て、
京都に上り、今まで学んだことを多くの人に
伝えるために、路傍でお手頃価格な
ストリート・カフェを始めた人です。
暮らしは貧しかったそうです。
でも気にしない、気にしない!
そんな気骨を、彼の漢詩、
過客頂知価半銭…に感じます。
そんな彼のアレコレを、
以下の項目に沿って
紹介させていただきます。
では、さっそく。
こんな人です!
本名、柴山元昭さん。江戸時代の禅僧です。
1675年生まれ、1763年没。
伊藤若冲さんが描いた人物。
こんな容貌だったみたい。⤵︎
(福山暁菴編著『売茶翁』の表紙より)
で、彼は何をしたのか?
売茶(=お茶を売る)の名の通り、
京の路傍で点てた茶を売りました。
現代風に言えば、
ストリート・カフェを始めたのです。
そして翁と呼ばれた通り、彼は老人です。
実は、60歳を過ぎたとき、住職を辞め、
この商売に転じました。
暮らしは貧しかったと云います。
テントのような組み立て式の庵に住み、
ときには食事にも困ったそうです。
彼は何を求めて、この生き方を
選んだのでしょうか?
住職でいれば、僧として
安泰の人生を送れたにもかかわらず。
答えは、彼の遺した漢詩にあります。
彼の漢詩に志が!(拙訳)
その漢詩には、こう書いてあります
過客頂知価半銭
(:通りすがりのお客様、
みなが知っていますよ。
値段はたったの半銭です)
一啜為君洗心腑
(:ひと口すすってください。
あなた様のためです。
心と体が洗われます)
拙訳で恐縮ですが、
この漢詩、意味から察するに、
彼のカフェにお客様を誘う
口上だったような気がするのです。
そのお茶の値段、
半銭(:一文銭の半分)は、
団子1串4文、そば1杯16文と比べても
かなり安い感じがします。
(1文25円とすれば、お茶1杯12.5円。
団子1串4文=50円、そば1杯16文=200円)
(団子とそばの値段については、日本銀行の
貨幣博物館のサイトを
参照させていただきました。 →こちら)
そんな安いお茶を提供し、
お茶を飲む人の発する疑問や悩みに
売茶翁は丁寧に答えたのでしょう。
それが漢詩にあった
洗心腑(:心と体が洗われます)
なように思えるのです。
当然、
もうかる商売ではありません。
つまり、
もうける積もりはなかったのです。
そして実際、もうかりませんでした。
彼は貧しいまま、死んでいきました。
後悔したか?は誰にもわかりません。
確かなのは、彼の生き方に
当時、
多くの人が心を動かされたということ。
当時の有名画家、
伊藤若冲さんの描いた肖像画は
そうした感銘の象徴なのです。
何のために学ぶのか?
わぉ😮、かっこいい!
売茶翁という人を知ったとき、
わたしは、そう思いました。
行動派だし、
肩書きや地位に執着しないし、
貧しくても気にしないし、
学びで金儲けしないし。
(古代ギリシャには、お金持ちだけに高額で
授業をするソフィストと呼ばれる人たちが
いました。ご存知?)
(そのソフィストたちを軽蔑し、望む人すべてに
教育したのがソクラテスさん[B.C.370年没]
でした。詳しくはクセノポン著
『ソクラテスの弁明』をどうぞ!)
生意気を言うようですが、
望むすべての人に
学んだすべてを伝える!
が、学び本来の目的だと
思います。
こういうことを書くと
「そんなの分かってるよ」
と言われそう。
「理想はわかるけど、現実的に無理」
とも言われそう。
でも、
売茶翁は実行しちゃったんです。
60歳を過ぎて、住職を辞めて。
結果、貧乏になって死んじゃった。
なんか悟りの境地です。
悟りといえば、売茶翁は禅僧でした。
禅(ぜん)を学んでいました。
禅って、ちゃんと教える人がいないので
(坊さんが布教をサボっているとも言えます)
千利休さんの侘び寂びと混同している人、
かなりいますが、
いい機会なのでちょっと書くと、
世の中を良くするために(←仏教の目標)、
まず自分の内面を磨き上げる。
その手順を禅と言います。
(初心者は座禅から🧘🏽🧘🏽♂️🧘🏽♀️)
そして、内面をある程度磨いたら、
今度は「公案」と呼ばれる
「世の中を良くする」に
挑む段階へ進みます。
その「公案」を売茶翁は、
喫茶業を介し、会得した全てを
人々の意に沿う形で伝える道
とし、それを全うしたのでしょう。
すごい!👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾
ストリートカフェ、いいな!
と、リスペクトしまくりな、
わたしですが、
売茶翁さんがストリート・カフェ
というスタイルを選んだセンスにも、
👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾👏🏾なのです。
学んだことを伝える
ポピュラーなスタイルは
学校 school ですが、
あれは制度。
制度には強制が
どうしても付きまとい…
「これを教えるよ」と
教える側が事前に設定。
(例 3時間目は図画工作の授業です)
だから、
なにを学びたいか?が
モヤモヤな人は
違和感を感じがち。
でもカフェなら、
「ちょっと知りたいなぁ〜って
思って来たけど、
なんか疲れちゃったから
今日はやめて、🍵を飲んだら帰ろ!」
もOKだし、
「今から言うこと、
よくわかんないかもしれないけど
知りたいのはそういうことなんだから、
がまんして、話、聞いて!」
もOKだし。
どんな人でも、感じたまま、
知りたいままに、質問を発せそう。
そんなカフェ。
お金が掛からず(🍵代、半銭)、
行きやすい場所にあれば。
実はわたしも、以前、
似たような場所(マーケティングの庵)を
開いたことがあるんですが、
実際にやってみると、なかなか難しく、
売茶翁さんのように行きませんでした。
(未熟者です😅)
でも今でも、(今だから、かな?)
売茶翁さんのスタイルが、
ほんとうに必要だと感じています。
大学もそうですが、
学びって、だんだんと
お金、時間、過去の蓄積(例 高卒)
がないと難しくなっている気が
しているんです。
学びたい人、
学校を離れても、
たくさんいるはずなのに。
そう思えば思うほど、
売茶翁さんを
リスペクトしてしまいます。
矢嶋ストーリー
矢嶋剛
P.S.
売茶翁さんに興味を持たれた人へ。
福山暁菴編著『売茶翁』が詳しいです。
紹介した漢詩も、この中に。でも
この本(1967年出版)、自費出版ぽく、
古本を探すしかありませんが、ぜひ!
表紙、⤵︎です。
売茶翁さん、いい顔してますよね!😊