矢嶋ストーリーの矢嶋です。
今日は、知る人ぞ知る名作『ゲド戦記』を
巡る誤解について書きます。
『ゲド戦記』⤵︎は
外国の本で、日本語に訳したとき、
『ゲド戦記』と名付けられました。
『◯◯戦記』なる書きぶりは
紀元前に書かれた名著
『ガリア戦記』を思い起こさせます。
ですから、
この本も、戦争の本、戦いの物語だと
思われています。
多くの人が
・この本の主人公がゲドだから
・ゲドの戦いの物語が『ゲド戦記』
だと思っています。
けれど違うのです。
まったくの誤解です。
戦記でもありません。
ゲドは戦いません。
なにもかも
タイトルのイメージが生み出した
誤解なのです。
そして誤解だから
(=ゲドの戦いの物語ではないから)
すばらしいのです。
そんな『ゲド戦記』の本当を
書いてみようと思います。
今回、とくにお伝えしたいのが、
この記事の題名にもなった
『ゲド戦記』の主人公はゲドじゃない
という点です。
そこをわかっていただくために、
話の流れを以下のようにしました。
まず、全6巻から成る『ゲド戦記』のうち、
第1巻と第2巻の中身について触れます。
ある程度、ネタバレします。
「正義の味方ゲド」「魔法を覚えるゲド」
「敵と戦うゲド」みたいな
ドラクエ的、ファイナルファンジー的
な物語(レベルがあがった!
サンダラを覚えた! ラスボス登場!)で
ないことを理解していただくためです。
その理解の上で、『ゲド戦記』の全貌に
ついて解説します。この物語の原題
“EARTHSEA”について触れます。
『ゲド戦記』というネーミングが
誤っていることをお伝えします。
最後に、
誤解され続ける、この物語の悲劇について
思いを巡らせます。
スタジオジブリの『ゲド戦記』の最悪に
ついても書きます。
それでは話を始めましょう。
ネタバレを避けたい人は
これ以上、読み進めないでください。
第1巻のゲドは、かなり嫌な奴
では、第1巻「影との戦い」について。
ゲドは男です。
生まれつき魔法の才能があり、新しい魔法を
覚えては試します。12歳になったころ、縁あって
魔法使い育成学校に入学。魔法修行に励みます。
学校でも成績は優秀。将来を嘱望されます。
ゲドは思い上がります。その部分を引用します。
[『影との戦い』110ページより]
ゲドは突き上げてくる力に身を震わせた。ヒスイなど、ものの数ではない。ヒスイは今晩おれをここに連れ出す役目をはたしただけだ。彼は競争相手などではなく、おれの運命の単なるしもべにすぎないのだ。(中略)この天地の間にあるものはすべておれのものだ。おれが支配し、統率できるものなんだ。
これがゲドです。嫌な奴です。
10代にして、悪人、独裁者、恐怖の大魔王の心をもつ
どうしようものない人物。
ゲドにとって魔法は、この世を支配するための武器に
過ぎません。そのために、今は着々と力を蓄える。
クラスメイトも先生たちも利用するだけの存在…
そう考えています。
そして時が経ち、
学校で学べることは全て学んだゲドは、
世界を支配する野望を実行し始めました…(続く)
それが『ゲド戦記』…
そんなゲドを応援する。
ヒーローとして👏🏾👏🏾👏🏾する。
そんな酷い話が
名作になるはずありません。
実は、物語は
先ほど引用した110ページを境に
真のスタートを切るのです。
その展開の予感が、
第1巻のタイトル『影との戦い』として
示されています。
影とは何か?
戦いは、どうおこなわれるのか?
ゲドは、勝つ?負ける?
その答えを読者に見せたところで
第1巻は終わります。
注)正確に書くと、答えは正解風に
書いていないので、
気づかない人は気づかないまま、
第2巻を読み始めます。
「次の冒険は?」の期待にあふれて。
さて、
第1巻の答えに気づかず、
いまだに『ゲド戦記』を
魔法使いゲドのRPG系・冒険ファンタジー
ドラクエやファイナルファンタジー風の
・ゲドのレベルがあがった!
・ゲドは新しい魔法をおぼえた!
・ゲドは〇〇を倒した!📯📯📯
な🧙🏻♂️🌬️🌪️🧟♂️🧟♀️🧟なストーリー
だと思って読み始めた人が
必ずイライラする第2巻の話を
次に書きます。
しかし、その前に。
大事なことなので
繰り返し書いておきます。
第1巻の110ページに触れずに
『ゲド戦記』を語ることはできないのです。
確認、よろしくお願いします。
では、第2巻へお進みください。
第2巻から面白くなります
さて第2巻です。タイトルは『こわれた腕輪』。
中扉を開くと、いきなり
「アシュアンの墓所」と書かれた見取り図と
「墓所の地下迷路」と書かれた地図が登場。
「なんだろう?」と思いながら
プロローグを読み始めると、冒頭に
「帰っておいで、テナー。帰っておいでったら!」
と書いてあります。
「なんだろう? 今度は、このテナーを
ゲドが救出?」な予感で読み始めるのですが…
ゲドが出てきません。
『ゲド戦記』なのに、一向に
ゲドが登場しません。
途中から、ようやく出てきますが、
その後も戦うことなく、第2巻読了。
「えぇっ! 超強力魔法とか無いの?」
「第1巻に出てきた竜🐉とか、ああいうの
倒したりしないの?」
読者、がっかり。
絶望のあまり悲鳴🗣️🗯️
「何やってるんだ、ゲド!」
の声を、物語は全部無視。
その代わりに、第1巻で出てきた話が
第2巻の後半で再び取り上げられます。
語り部はゲドで、次のような話をします。
[『こわれた腕輪』187-189ページより]
わたしは…、その…、いや、ちょっとしたものを追って、海を旅していた。追跡の相手はなかなかのくせ者で、ある日、わたしはまんまと相手の手に引っかかって、とある小島に打ち上げられてしまった。(中略)小島に人間がふたり暮らしていたんだ。もう歳のいった男と女で、たぶん、兄妹だったんだと思う。(中略)わたしたちは話ができなかった。わたしは、当時まだカルガド語がだめだったし、むこうのふたりには多島海(アーキぺラゴ)のことばがわからなかった。(中略)ところが、いよいよ別れるという時に、女はわたしにひとつの贈り物をくれたんだ。」
「う〜ん、そうだったのか!」
「1巻と2巻は、つながっていたのね」
この辺り(引用部)で、
ゲドの『戦記』🧙🏻♂️vs🐉を期待して
『ゲド戦記』を読んでいた人は
気づくのです。
この物語をかたち作っているのは、
登場する島々や海で、
それぞれの島の歴史や文化とか、
そういったものすべてで、
ゲドはその世界で生きる
一人で、一部でしかなく、
物語は、
ゲドの戦いよりも
はるかに大きな何かを
語り続けている。
ゲドの戦いは本筋ではない、と。
そうなのです。
作者アーシュラ・K. ル=グウィン
Ursula Kroeber Le Guin さんは、
(ようやく登場 →こんな人)
この巻で、この物語に
強烈な釘🗡️を打ちこんだのです。🔨
主人公は、ゲドじゃない と。
では、誰が主人公なんでしょう?
実は、ゲドが住む「アースシー」という世界。
それこそが、物語の主人公だったのです。
ですから、この物語の名は、
“EARTHSEA”(アースシー)🌏🏝️
『ゲド戦記』
なんかでは無いのです。
とおわかりいただいたところで
次は、全6巻から成る『ゲド戦記』
ではなくて『アースシー』の
真の姿に迫ります。
真の主人公は、アースシー
まず『ゲド戦記』(岩波少年文庫)の
全6巻のタイトルと原題を
見てみましょう。⤵︎
第1巻『影との戦い』
(原題 ”A WIZARD OF EARTHSEA” )
第2巻『こわれた腕環』
(原題 ”THE TOMBS OF ATUAN” )
第3巻『さいはての島へ』
(原題 ”THE FARTHEST SHORE” )
第4巻『帰還』
(原題 ”TEHANU” )
第5巻『ドラゴンフライ』
(原題 ”ON OTHER WIND” )
第6巻『アースシーの風』
(原題 ”TALES FROM EARTHSEA” )
この6巻を通じて、
作者のアーシュラさんは
アースシー EARTHSEA の世界を
描いてきます。
出だしは、
ある魔法使い a wizard の話で、
それがたまたまゲドだっただけで、
(原文タイトルが the ではなく
a であるのは、そのため)
そのゲドも
先ほど話した通り、
第2巻では主役ではなくなり、
語り部もしくは
脇役になっていきます。
そして第3巻以降のどこか
(あえて秘密)で
ゲドは姿を見せなくなります。
ヒーローの座から降り、
姿を隠し、
静かに目立つことなく
生きていくのです。
つまり、『ゲド戦記』は、
ゲドでも、戦記でも無くなります。
必然、ゲドの存在感は薄れます。
代わりに浮かび上がるのが、
アースシーの世界です。
ゲドの生まれたゴント島は、ここ。
アスタウェル島は東海域の端で、
西海域には竜の道があって、…。
物語が進むにつれて見えてくる
アースシーの部分部分に、
読者は引き込まれていきます。
そしてゲドがいなくなっても
大丈夫になっていきます。
(十分に楽しい!という意味)
こうして、物語は
原題の ”EARTHSEA” へ
静かに戻っていくのです。
だからこそ『ゲド戦記』
いいえ、”EARTHSEA” は、
世界中の人の心を
惹きつけるのだと思います。
ゲドが姿を隠した、
ゲドが出てこない
EARTHSEA の物語を
お楽しみください!
矢嶋ストーリー
矢嶋剛
こう書いて「終わり!」でもいいのですが、
ネットで『ゲド戦記』を検索すると、
スタジオジブリの映画の感想が多く、
ゲンナリ(理由は後述)。なので
「誤解が多いな、ゲド戦記」的なことを
最後に書き加えます。
『ゲド戦記』を巡る様々な誤解
すでにご説明したように、
『ゲド戦記』の原題は “EARTHSEA” です。
つまり『ゲド戦記』は和訳本を出している
岩波書店の創作(1976年)です。
原題のままでは売れないと踏んだ
出版社の勝手な
「これなら売れそう」タイトル創作は
ままあることなのですが、
似た現象 →フラン・レボウィッツさんでも)
この『ゲド戦記』も、
やっちまった🤮わけです。
各巻のタイトルも 勝手に創作。
例 ”A WIZARD OF EARTHSEA“
→ 『影との戦い」
うーん、全然違うけど、確かに
戦記的には盛り上がりまよね!
(多少嫌味、入ってます)
しかも発売後、
名作との評判を得てしまった。
なので、原題回帰もしづらいのでしょう。
タイトル、
いまだに『ゲド戦記』のまま。
岩波少年文庫から好評発売中。
ゲドが居ようが居まいが、
戦う、戦わないに関係なく。
いつまでも、ダラダラと。
結果、
「この本、知ってる?」
「この本、読んだ?」
な、おすすめ本として
『ゲド戦記』の名前が使われ続け…
Wikipedia も「ゲド戦記」だし。
それでも読んでいただければ、
真の姿を分かっていただけるのですが…
そうとは限らず。
というのも、ご存知のように、
あのスタジオジブリさんが映画化され…
映画『ゲド戦記』(2006年)。
6巻の物語をどう収めるのか?
興味津々でしたが、
観てみると「あれ?」
・いきなり第3巻?
・始まりは父親殺し? (原作にない)
・少年が少女を救出? (原作にない)
・悪い奴を倒すと解決?(原作にない)
う〜む、支離滅裂。😳🥵😰
アーシュラさん(作者)も
あれは別の物語(怒)と
コメントしています。
とても残念なのですが、
ジブリ映画『ゲド戦記』は
『ゲド戦記』の知名度と設定だけを借りて、
中身をすっかり書き換えた贋作です。
しかも駄作。
この映画の感想に
「よくわからない」
「つまらない」
の評があるのは当然のことですが、
(わたしも、わからないし、
つまらなかったです)
それが
本の評価になってしまうのツラい。
けれど、スタジオジブリの影響は
甚大です。
ですから、岩波少年文庫さん、
この際、もうキッパリと、
『ゲド戦記』の名を捨てて
『アースシー』全6巻で再出発!
を、ご提案したいのですが、
いかがでしょう?
矢嶋ストーリー
矢嶋剛
(今度はほんとにお終い)