有名な言説を講義で紹介する理由

矢嶋ストーリーの矢嶋です。

今日は、社会科学の学び方に
ついて書きます。

矢嶋の講義を受講する
國學院大學のみなさんのために
書いてみます。

社会科学って、社会、経済、経営、
政治、法律などを扱う学問です。

社会学、経済学、経営学、
政治学、法学などがあります。

その社会科学の講義では
有名な言説(●●説)が紹介されます。

どうして? なぜ?
その理由、社会科学の学び方に通じています。

そのあたりを説明します。

※実は大学で講義をしています。
 講義を受講しているみなさんを想い、
 授業では伝えられない(時間的に無理)
 余録として書いたのが、この記事なのです。

コンテンツは以下の通りです。
社会科学を学ぶ人の参考になるように
解説していきます。

話を始めます。
まず社会科学の目的から。

このテーマ、
「何のために大学で学ぶのか?」
に直結しているのですが、

意外なほど意識されていません。

意識せずスルーするには
勿体なさ過ぎなので
書いてみます。

社会科学の目的って何でしょう?

社会科学の目的

社会(“世の中”と呼んでもOK)に
ついて考える学問全般のことを、

自然科学(例 物理学)と対比させ、
社会科学と呼びます。

その社会科学には、
 社会学、経済学、経営学、政治学、法学など
ジャンルがあります。

それぞれのジャンルが
独特の視点も持っています。

独自の視点で
社会を見つめようとします。

 社会学👀は 社会問題(例 平等)、
 経済学👀は 経済(お金の話)、
 経営学👀は 経営(企業のできること)、
 政治学👀は 政治(よい制度は?)、
 法学👀は  法律(その効力と限界)を。

それが社会科学なのです。

大学で社会科学を専攻するみなさんは
学部や学科を選ぶときに、
社会を見つめる視点👀、👀…の中から
何かを選んでいるわけです。
(意識していないかもしれませんが)

そんな多様な社会科学ですが、
すべてのジャンルに共通する
大テーマを持っています。

これからの社会を見通す!

という大テーマを
持っているのです。

ですから学びます。
考えを巡らします。

今後のため、未来のために。

ですから、社会科学の学びって、

今の社会を見つめ、
自国だけじゃなく、海外も見つめ、
過去の経緯を知るために歴史を調べ、
これからを考えようと
するのです。

あくまでも未来志向。

過去の話も、現状の分析も、
すべてはこれからを考える材料に
過ぎないんです。

「君は、このジャンルの名著を
 何冊、読んだ?」
「調査しました。すごいでしょ」

で、
思考や行動を停止している人は
先生でも、教授であっても、
実のところ、
社会科学をしていないのです。
(はっきり言って、ごめんなさい😝)

ということで、
社会科学の目的、わかりましたか?

それではもう一つ大事な話。

社会科学に理論はない!という話を
書きます。

社会科学に理論はない


大学で読むように薦められる
社会科学の専門書の中に
“理論”と書かれている本が
あります。

社会学の理論とか、
マーケティングの理論とか。

あれ、著者の勘違い。

社会科学に理論なんて
ありません。

用語をきちんと理解するのは
学者の基本的な仕事ですが、
そういう人(勘違いな著者)は、
理論 theory という学術用語を
きちんと勉強しなかったのです。

そこを棚上げして、

自分を大物に見せたい。
偉そうに振る舞いたい。

そういう理由で
“理論”という言葉を使いたがる。
それって、
とても恥ずかしい行為なんです。

どういうことか、
もうすこし説明しますね。

理論 theory は物理学や化学のような
自然科学で使われる学術用語です。

その意味は、「Aという現象は、
こういう理由で、常におこる」です。

「再現性、100%」が必須です。

H₂O(水)は、水素H と酸素Oから成る、
みたいな確かさ、これが 理論 theory と
いう名に値する見識なのです。

この話に興味を持った人は「科学史」を
勉強してみては。A.F.チャルマーズの
『科学論の展開』
がおすすめです。

そんな理論 theory 。イメージできたら、
社会科学に理論が成り立ちうるか?を
考えてみてください。

どの時代の、どんな社会でも、
Aという現象は「常に」起こる。
起こり続ける。例外はなし。

そんなことが
言い切れるでしょうか?

古代ギリシャ、奈良時代の日本、
19世紀のヨーロッパ、
アマゾンの奥の村、
昨日のニューヨーク、…。

その全部で常に?

子供でもわかります。

そんなことはあり得ない。

仮に、ある社会で、
「Bが原因でCが起きやすくなる」
という事実が
発見されたとしましょう。

でも、その発見が、
世界中のすべての社会で、
時代を超えて、いつでも、どこでも、
例外なく確認されない限り、
理論ではありません。

社会科学に理論、
あり得ないのです。

このことをきちんと理解している人は
自分の発見
「Bが原因でCが起きやすくなる」のお尻に
「のかも?」を付け足すことを忘れません。

この「のかも?」に、科学の世界は
仮説という名を付けています。

もうおわかりですね。

社会科学で“理論”(ときは“法則”)と
自称している言説は
すべて、仮説です。

そして仮説で十分なのです。

ここまで説明しても腑に落ちない人は
ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』
読んでください。
彼は、どんな政治、どんな政府が適切かを
一生懸命考えた人で、政治に理論など
あり得ないことを率直に述べています。
(理論という言葉は使わないけど)

有名な言説を紹介する理由

社会科学の目的は何か?
社会学に理論などない!(=仮説ばかり)に
納得できましたか?

🙋🏼‍♀️🙋🏽🙋🏽‍♂️なら準備完了。

では本題に入りましょう。

社会科学の学び方について
書いていきます。そのために、

大学の社会科学の講義で
なぜ有名な言説(●●説)が
紹介されるのか?

その理由を説明します。


有名な言説(●●説)の多くは、
仮説(「のかも?」)です。

「世の中、◯◯なのかも?」
なアレコレが述べられています。

述べられた時期は、いろいろ。
近い、遠いの差はあれ
過去に唱えられたものばかりです。

しかも、その言説は、
今、みなさんが居る社会とは
異なる社会で生まれています。
(例 産業革命当時)
(例 1960年代)

そんな昔の言説を、
未来志向な社会科学の講義で
今、なぜ、紹介するのか?

先生は何を狙っているのか?

その辺りを解説していきます。


例として、
わたしの担当する流通論を使います。

流通論は、世の中の物の売り買いが
どのようにおこなわれているか?を眺め、
今後どうなる?なれる?を見通そうと
する研究分野です。

その流通論の小売機能(生活者にどう売る)を
考えるところで、有名な2つの言説、
「真空地帯説」と「小売の輪説」を
紹介しています。

「真空地帯説」は、
人気をつい追ってしまう
小売業の性格を指摘した説。

「小売の輪説」は、
次第に高コスト体質に陥り
競争に敗れていく
小売業の命運を指摘した説。

どちらも唱えられた時期は昔です。
それをわたしは今も紹介します。

なぜだと思いますか?

有名だから!ではありません。

この話をしないと、大学に
流通論として認めてもらえないから!
でもありません。

社会科学の大テーマ、
これからの社会を見通す!
(流通論の場合は、物の売り買いが
 今後どうなる?なれる?を見通すのに)


今しばらく使えそうだから
紹介するのです。

これからを見通すための
手がかりとして、
紹介するのです。

これが、講義の中で
有名な言説を紹介する理由です。


わかってほしい事、
伝わりましたか?

大事ところなので、
もう一度、整理して書きますね。

社会科学の
学びの目的は、これからを見通す
有名な言説は、その手がかり

社会科学の講義って
みなさんがこれからを見通せるように
みなさんに、手がかりを紹介する
時間なんです。

そして、これが、
社会科学の学び方の本質なのです。


ですから、
社会科学を学ぶみなさん、
(≧流通を学ぶみなさん)

有名な言説(仮説)を
試験のために覚えるなんて
愚を起こさないでください。

そして大学っぽい学びを
楽しんでください。

そんな話を最後に添えます。

大学っぽい学びをしよう

お伝えした通り。

社会科学の学びは、
これからの社会を見通す!を目指します。

この流れの中で、
有名な言説は、みなさんの理解を助ける
手がかりとして登場します。

手がかりはあくまでも手がかりです。
使わなくてもいいのです。

その証拠に、
有名な言説の言わんとする事は、
別の言い方でも表せます。

ですから、
覚えなくても済ませられます。
何の問題もありません。

ですから試験のために覚える💪🏾
必要なんてありません。
別の手がかりを使っていただいて
OK。

でも。

別の手がかりを探しきて、
その手がかり
知らないかもしれない相手
(先生もその一人)に
理解できるように説明をして…

というのも面倒😮‍💨だと思うとき、
有名な言説を使うと、

話が通じやすかったりします。

(「真空地帯説のいう…」で始めると
  説明する手間を省くことができる)

そして、
議論が盛り上がりやすく
なったりします。

(「真空地帯説ではそうだけど…」
  な感じで、踏み台的に使うと、
  次の議論にすばやく移れる)

そんな利点もあることだけ、
知っておいてください。

そして、もっと大きく
学んでください。

「わたし、何のために
 学んでいるんだっけ?」

「卒業のため? 就職のため?
 単位のため?」

「違う、違う。
 未来のために学んでる」

「そのために社会科学を選んで、
 いろんなジャンルの👀を学んで、
 これからの社会を見通す!
 能力を身につけている途中」

「そして、世の中が
 今後どうなる?なれる?
 見通せるようになったら、
 それ生かして、なんかすごい事、
 しちゃおうかな!」

と想っちゃってください。

そんな学びをしてください。

それが、社会科学本来の、
大学っぽい学びだと思います。


        矢嶋ストーリー
           矢嶋 剛

P.S.

この稿は、
わたしの講義を受けている人を想って
書きましたが、指摘した内容は
世の中の「学び」全般とつながっています。

安易な教育とそのための勉強は
(大学でも、研修でも、資格試験でも)
学び本来の目的を忘れ、

今回挙げたような有名な言説を
知っている?知らない?の
【教養主義】【クイズ的強迫】で
強制終了し、お茶を濁そうとします。

教える方は楽チンですが…
それは愚かで、虚しい。

なによりも
学ぶ人たちが気の毒。

わたしは、そう思うのです。


P.S.のP.S.

社会科学の学者が
 “理論”という言葉をなぜ乱用?については
このブログに別記事で投稿してあります。
ご興味があれば →🔗

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