『ゲド戦記』の主人公はゲドじゃない

みなさん、こんにちは
 
今日は、知る人ぞ知る名作『ゲド戦記』の
真実について書きます。この本⤵️は

ゲド戦記2『こわれた腕輪』。同1『影との戦い』・アーシュラ・K.ル=グウィン作、清水真砂子訳。
 

有名な『ガリア戦記』の語感から
主人公ゲドの戦いの物語と誤解されますが、

戦記ではありません。彼は魔法を覚え、使いますが、
ドラクエやファイナルファンジーのような
RPG的要素(レベルがあがった! サンダラを
覚えた! ラスボス登場!)もありません。

敵もなく、勝利も敗北もなく、これ以上は
ネタバレになるので書きませんが、
すべての話は、原題の EARTHSEA (≒🌎)の
在り様を物語っているのです。

象徴的な出来事が、ゲド不在です。

ゲトは物語の途中から姿を消します。
でも物語は魅力を減じず続きます。
(だから名作なのだ!と思っています)

それでも本のタイトルは『ゲド戦記』。

もうお分かりでしょう。『ゲド戦記』は
本を売るための方便なのです。

ちなみに、
スタジオジブリの映画『ゲド戦記』は
原作を無視した曲解です。(作者は激怒)

と、
いろいろ誤解されやすい『ゲド戦記』、
岩波少年文庫から全6巻、発売中です😆

なんてことをツラツラ綴る今回のコンテンツ、
以下の通りになっています。

『ゲド戦記』については、Wikipedia を始め
いくつもの作品評がネットにありますが、
その手の感想を最初に読んじゃうと、
作品の魅力、伝わらない!と思う派なので、
誰もが読む第1巻『影との戦い』の話を書きます。

でも物語のあらすじを書くと、
作品の魅力、伝わらない!と思う派でもあるので、
主人公ゲドのことを書きます。

第1巻のゲドは、かなり嫌な奴

ゲドは男です。(一部ネタバレあり)

生まれつき魔法の才能があり、新しい魔法を
覚えては試します。12歳になったころ、縁あって
魔法使い育成学校に入学。魔法修行に励みます。

学校でも成績は優秀。将来を嘱望されます。
ゲドは思い上がります。その部分を引用します。
        [『影との戦い』110ページより]

ゲドは突き上げてくる力に身を震わせた。ヒスイなど、ものの数ではない。ヒスイは今晩おれをここに連れ出す役目をはたしただけだ。彼は競争相手などではなく、おれの運命の単なるしもべにすぎないのだ。(中略)この天地の間にあるものはすべておれのものだ。おれが支配し、統率できるものなんだ。

これがゲドです。嫌な奴です。
10代にして、悪人、独裁者、恐怖の大魔王の心をもつ
どうしようものない人物。

ゲドにとって魔法は、この世を支配するための武器に
過ぎません。そのために、今は着々と力を蓄える。
そのうちにクラスメイトも先生たちも…😈😈😈

そして時が経ち、
学校で学べることは全て学んだゲドは、
世界を支配する野望を実行し始めました…(続く)

それが『ゲド戦記』…

だったら名作になるはずありません。
実は、先ほど引用した110ページを境に
物語は真のスタートを切るのです。

その展開の予感が、
第1巻のタイトル『影との戦い』として
示されています。

影とは何か?

戦いは、どうおこなわれるのか?

ゲドは、勝つ?負ける?

その答えを読者に見せたところで
第1巻は終わります。

注)答えは正解風に書いていないので、
  気づかない人は気づかないまま、
  第2巻を読み始めます。
  「次の冒険は?」の期待にあふれて。

さて、
第1巻の答えに気づかず、『ゲド戦記』を
魔法使いゲドのRPG系・冒険ファンタジー

注)ドラクエやファイナルファンタジー風の

  ・ゲドのレベルが、あがった!
  ・ゲドは新しい魔法をおぼえた!
  ・ゲドは〇〇を倒した!📯📯📯

  な🧙🏻‍♂️🌬️🌪️🧟‍♂️🧟‍♀️🧟なストーリーを指す

だと思って読み始めた人が必ずイライラする
第2巻の話を次に書きますが、その前に、
大事なことなので繰り返し書いておきます。

第1巻の110ページに触れずに
『ゲド戦記』を語ることはできないのです。

確認、よろしくお願いします。

第2巻から面白くなります

さて第2巻です。タイトルは『こわれた腕輪』。

中扉を開くと、いきなり
「アシュアンの墓所」と書かれた見取り図と
「墓所の地下迷路」と書かれた地図が登場。

「なんだろう?」と思いながら
プロローグを読み始めると、冒頭に

「帰っておいで、テナー。帰っておいでったら!」

と書いてあります。

「なんだろう? 今度は、このテナーを
 ゲドが救出?」な予感で読み始めるのですが…

ゲドが出てきません。

『ゲド戦記』なのに、一向に
ゲドが登場しません。

途中から、ようやく出てきますが、
その後も戦うことなく、第2巻読了。


「えぇっ! 超強力魔法とか無いの?」
「第1巻に出てきた竜🐉とか、ああいうの
 倒したりしないの?」


読者のがっかり、悲鳴、
「何やってるんだ、ゲド!」の声を全部無視。

その代わりに、第1巻で出てきた話が
第2巻の後半で再び取り上げられます。

語り部はゲドで、次のような話をします。
    [『こわれた腕輪』187-189ページより]

わたしは…、その…、いや、ちょっとしたものを追って、海を旅していた。追跡の相手はなかなかのくせ者で、ある日、わたしはまんまと相手の手に引っかかって、とある小島に打ち上げられてしまった。(中略)小島に人間がふたり暮らしていたんだ。もう歳のいった男と女で、たぶん、兄妹だったんだと思う。(中略)わたしたちは話ができなかった。わたしは、当時まだカルガド語がだめだったし、むこうのふたりには多島海(アーキぺラゴ)のことばがわからなかった。(中略)ところが、いよいよ別れるという時に、女はわたしにひとつの贈り物をくれたんだ。」

「う〜ん、そうだったのか!」
「1巻と2巻は、つながっていたのね」

この辺り(引用部)で、ゲドの戦記🧙🏻‍♂️vs🐉を期待して
『ゲド戦記』を読んでいた人は気づくのです。

この物語をかたち作っているのは、
登場する島々や海、それぞれの島の歴史や文化とか、
そういったものすべてで、ゲドはその世界で生きる
一人で、一部で、ゲドの戦いの軌跡ではない…

そうなのです。
作者アーシュラ・K. ル=グウィンさん
Ursula Kroeber Le Guin は、
(いまごろ登場 →こんな人
この巻で、この物語に
強烈な釘を打ちこんだのです。🔨

主人公は、ゲドではない。


では、誰が主人公なんでしょう?

実は、ゲドが住む「アースシー」という世界。
それこそが、物語の主人公だったのです。

ということで次は、全6巻から成る
『ゲド戦記』の真の姿に迫ります。

真の主人公は、アースシー

ここで、『ゲド戦記』は全6巻のタイトルと原題を
見てみましょう。⤵️

第1巻『影との戦い』
(原題 ”A WIZARD OF EARTHSEA” )

第2巻『こわれた腕環』
(原題 ”THE TOMBS OF ATUAN” )

第3巻『さいはての島へ』
(原題 ”THE FARTHEST SHORE” )

第4巻『帰還』
(原題 ”TEHANU” )

第5巻『ドラゴンフライ』
(原題 ”ON OTHER WIND” )

第6巻『アースシーの風』
(原題 ”TALES FROM EARTHSEA” )

この6巻を通じて、作者のアーシュラさんは
アースシー EARTHSEA の世界を描きます。

出だしは、ある魔法使い a wizard の話で、
それがたまたまゲドだっただけで
(the ではなく a な理由)、そのゲドも
先ほど話した通り、第2巻では主役ではなくなり、
語り部もしくは脇役になっていきます。

そして第3巻以降のどこか(あえて秘密)で
ゲドは姿を見せなくなります。

ヒーローの座から降り、姿を隠し、
静かに目立つことなく生きていくのです。

つまり、『ゲド戦記』は、
ゲドでも、戦記でも無くなります。

必然、ゲドの存在感は薄れます。
代わりに浮かび上がるのが、
アースシーの世界です。

ゲドの生まれたゴント島は、ここ。

アスタウェル島は東海域の端で、
西海域には竜の道があって、…。

物語が進むにつれて見えてくる
アースシーの部分部分に、
読者は引き込まれていきます。

そしてゲドがいなくなっても
大丈夫になっていきます。
(十分に楽しい!という意味)

こうして、物語は
原題の ”EARTHSEA” へ
静かに戻っていくのです。

だからこそ『ゲド戦記』
いいえ、”EARTHSEA” は、
世界中の人の心を惹きつけるのだと思います。

ゲドが姿を隠した、ゲドが出てこない
EARTHSEA の物語をお楽しみください🥳

           矢嶋 剛


こう書いて、
この投稿、終わり!でもいいのですが、
ネットで『ゲド戦記』を検索すると、
スタジオジブリの映画の感想が多く、
なんかちょっとゲンナリ(理由は後述)なので
「誤解が多いな、ゲド戦記」的なことを
最後に書いておきます。

『ゲド戦記』を巡る様々な誤解

『ゲド戦記』の原題は EARTHSEA です。
つまり『ゲド戦記』は和訳本を出している
岩波書店の創作(1976年)です。

原題のままでは売れないと踏んだ
出版社の勝手なタイトル創作は
ままあることなのですが、
(似た現象 →フラン・レボウィッツさんでも

この『ゲド戦記』は
とても上手なネーミングです。

有名な『ガリア戦記』に冠(かぶ)せて
いるのでインパクトは抜群。

『ガリア戦記』に『ゲド戦記』
みたいな感じで記憶してくれるし、

ゲドは人名なので、英雄伝っぽいし、
(『ガリア戦記』はガリア地方での戦争の
 記録なので戦場っぽい🩸🗡️怖さがネック)


1986年以降、大人気になるRPG系ゲーム
(ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー、
 ゼルダの伝説 など)
の世界観とマッチするし、

今考えても、じつに見事です。


そして、
『ゲド戦記』のイメージに合わせた
各巻勝手なタイトル創作。

例 ”A WIZARD OF EARTHSEA
  → 『影との戦い」

うーん、全然違うけど、確かに
戦記的には盛り上がります! →再確認を!


しかも名作との評判を得てしまったので、
今さら?な原題回帰もしづらいのでしょう。
結果、未だに『ゲド戦記』のまま。

ゲドが居ようが居まいが、関係なく。

そして、いつまでも
「この本、知ってる?」
「この本、読んだ?」な、おすすめ本として
『ゲド戦記』の名前が使われ続け…

Wikipedia も「ゲド戦記」だし。

それでも読んでいただければ、
真の姿を分かっていただけるのですが…
読んでいただけるとは限りません。

というのも、ご存知のように、
あのスタジオジブリさんが映画化され…

6巻の物語をどう収めるのか?
興味津々でしたが、観ると「あれ?」

 ・いきなり第3巻?
 ・始まりは父親殺し? (原作にない)
 ・少年が少女を救出? (原作にない)
 ・悪い奴を倒すと解決?(原作にない)
  
う〜む、支離滅裂。

アーシュラさん(作者)も
あれは別の物語(怒)とコメントしています。

とても残念なのですが、
ジブリ映画『ゲド戦記』は
『ゲド戦記』の知名度と設定だけを借りて、
中身をすっかり書き換えた駄作です。

映画の感想に
「よくわかからない」「つまらない」の
評判があるのは当然のことですが、
それが本の評価になることはツラいです。

けれど、スタジオジブリの影響は甚大です。

ですから、この際、もうキッパリと、
本は『ゲド戦記』の名を捨てて🚮
『アースシー』全6巻で再出発!を
提案したいのですが、いかがでしょう?