アニメ『ディリリとパリ…』は超美的

みなさん、こんにちは
 
ミッシェル・オスロ Michel Ocelot 監督の映画
『ディリリとパリの時間旅行』 Dilili à Paris
(ディリリ、パリで 。英語だと Dilili in Paris)を
観てきました。

すごく美しい作品です。
美しすぎます。

おまけに、1894年当時(ざくっと19世紀末)の
パリの街や文化がよくわかります。

すべての背景が、ものすごくリアルなんです。
プラス、出てくる登場人物も実在した有名人。

画家のモネさんとか、ノルワールさんとか。

そんな作品の魅力を、以下のコンテンツに沿って
ご案内します。(謎も含めて)

それではさっそく作品の紹介を!

公開されている映画の予告編と
ミッシェルさんのサイトにある作品の画像を
使って、できるだけ伝わるように説明します。

こんな作品です

では、予告篇をどうぞ!

いかがです?

映画館でこの予告編を👁️たときから、感動の予感、
そして、観終わり…。

映画館を出た直後の感想は
「やられた!」でした。

物語はさておき(子供向け?)、
パリの描き方がとにかく見事です。

すべての背景(人物の後ろ)がリアル。

ディリリと配達人オレルが初めてしゃべるシーンの
背景(建物と、樹と、広告塔)、

(ミッシェルさんのサイトより →そのシーンです)>

そしてモンマルトルの丘の階段。
(オレルの三輪車で下るアレ)

(ミッシェルさんのサイトより →そのシーンです)>

有名な建物ではない、さりげない街角の風景が
細部まで当時のまま(だと思います)。

道端に咲いている花まで見事に再現されています。

ですから、何の知識のないわたしでも
当時のパリに居たような気分に浸れます。

「ほら、そこの階段を降りると…」気分で。


おまけに当時の文化も伝わってきます。

理屈云々ではなく、当時のパリの有名人を
登場させることで!👏🏾

登場するのは ( order of appearances ! )

マリ・キュリー(キュリー夫人) Marie Curie、
ルイ・パスツール Louis Pasteur
といった科学者のほか、🧪🔬

アート系、多数。🎨 🎼
時代は、あの、ベル・エポック Belle Époque
美しき時代)ですから。

クロード・モネ Claude Monet
ピエール=オーギュスト・ルノワール
Pierre-Auguste Renoir
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
Henri de Toulouse-Lautrec
サラ・ベルナール Sarah Bernhardtらが
出てきて、喋るんです。

サラ・ベルナールさん⤵️
女優。ミーシャAlfons Muchaさんの
描いたポスターから。→出所

わぉ、ヤバい!

アンリさん(ロートレックさん)に至っては
ムーラン・ルージュでスケッチを描きます。
あの、見たことのある筆致で。

(このシーンで、かなり感激してしまいました)
(彼の描いたムーラン・ルージュのポスターの
 人⤵️も、あのシーンにさり気なく居て😆)

絵の好きな人は😍ではないかと!

ラストシーン近くに映し出されるエッフェル塔に
感激した人も大勢いそうな気がします。


なんか美しすぎて、文化芸術的で
凄すぎるアニメーションでした。

日本のアニメとの違い

日本もアニメ大国ですが、
この作品は趣が異なっていて…。

次は、そんな印象をお伝えします。
背景のリアルについては先ほど触れたので、
ここでは人物の描き方を取り上げます。

人々は次のように描かれます

・頭と目、鼻、口が通常サイズ
・走り出しても後ろに、流線Ɔ Ɔ Ɔ Ɔ が出ない
・息づかいが聞こえる
・ゆっくりと動く =優雅

つまり、マンガ的ではないのです。

加えて

・彼らの声は子供っぽくありません。
 落ち着いています。大人です。

高音で尻上がりな、あの
日本アニメ特有の口調とは無縁。

妙に力んで叫びたがる、あの
日本アニメ特有の口調とも無縁。

静かに、ふつうに、喋ります。


ですから、作品に登場する
(🙇🏽‍♂️登場でもスルーな有名人多数。ピカソさんでさえ)
オペラ歌手、エマ・カルヴェ Emma Calvé さんの
歌声(ソプラノ)が心地よく響くのです。

この繊細が作風なので、
吹替版ではなく、字幕版の鑑賞をおすすめします。

登場人物たちの話し方は、
日本語では伝わらない気がします。

ということで、ぜひ、ご覧ください。
(作品を購入して、PCでときどき
 エッフェル塔を観るなんて😍のでは!)


以下の話はおまけです。

一つは、この映画に感じた違和感。

予告編に出てこない話なので、
観た人しか通じないかもしれませんが、
嫌だな!と感じるシーンがありました。

もう一つは、感激ついでに考えた話。
「アニメはこの先、どこへ行く?」ばなし。

よかったら読んでください。

すごく嫌な冒頭シーンが、謎です

すごくいい作品ですが、冒頭のシーンに
かなりの違和感がありました。

こんな描写です。

裸族の家族の日常が映し出されます。

(ミッシェルさんのサイト →このシーンです

上半身裸の少女ディリリ、登場。
同じく上半身裸の大人の女性(母親ぽい)も登場。
その女性にディリリは、芋をもっと切るように
命じられます。

問題のシーンはその次。開始から1分48秒あたり。

裸族の風景がズームアウトし、その風景を眺める
着飾った紳士淑女たちが映り込んでいきます。

なんという非道い風景でしょう。
紳士淑女たちは、同じ人間である裸族の家族を、
乳房を露わにしている女性(含むディリリ)を、
動物園の動物を見るように眺めているのです。

会場は万国博覧会でした。ディリリはその展示場で
博覧会開催の期間中、裸で展示されていたのです。

それをなんとも思わないフランス国民とパリ市民。

そんなディリリでも、フランス語が喋れて、
高級な服を着て、きちんと挨拶ができれば、
カナック(ニューカレドニアの先住民)の
王女くらいには見える。パリで一流の人々と
対等に会話ができる。

この物語は、そういう感性をチラつかせます。

なぜ、この作品は
文明(フランス人) vs 野蛮(未開人)という
偉そう!を冒頭に強調して見せつけるんだろ?

どうして?
物語全体とのメッセージと全然違うし?

そもそも、裸族を展示するパビリオンが
パリの万国博覧会にあったの?

信じられない気持ちで調べたら、ありました。
カナックの展示ではないけれど。

その写真がこれ⤵️

Wikipediaの説明によると、
「ティエラ・デル・フエゴ(アルゼンチンの
パタゴニア)の原住民で、展示会のために
ベルギーの捕鯨起業家モーリス・メートルに
よってパリに連れてこられた」らしいのです。

うーん。
ディリリの件はわからないけど、
どうやら似たことは実際にあったみたいです。

でもなんでディリリをそういう設定にしたのだろう?
何の説明もない、いきなりの冒頭シーン。
当時、先住民やインディオ、未開人扱いされた
人々(とその子孫たち)は激怒😡になるはず。

みなさんも、想像してください。
ニューカレドニア(今もフランスの領土)の人々が
自分たちの先祖がかつてパリで、裸のまま、
動物園の動物のように展示されていた(見せ物に
なっていた)オープニングを見せられたら…

あえて? 警鐘? 
説明がないので、よくわかりませんが、
とにかく描かれている内容は非道い。👎🏾

そして、この感性、
カナック的な人を「下品」「野蛮」と見下す気風は
第4回万国博覧会(1894年)以後の
パリにもフランスにも残っていて、
ジョセフィン・ベーカーJosephine Baker さん⤵️の

パリでのショー(1925年〜)当時も、
その気配が色濃く漂っていました。

だからこそ、もっと気遣いを!
この映画の制作は2018年なんですから!

そうしないと、世界を「文明vs野蛮」で眺め、
自分たちこそ文明人!と胸を張るヨーロッパの傲慢を
今に伝える f*cking な作品と評価されかねません。

この作品は、
そんなことを考えさせるアニメでもありました。

アニメよ、どこへ行く?

さてさて、2018年に『ディリリとパリの…』が
世に知られたわけですが、

この衝撃がアニメ作品を変えていくでしょうか?

というのも、ふだんアニメを観ないわたしが
(『鬼滅の刃』とかを一応は観てみる程度)
この手のアニメなら観てみたい!と
積極的になったからです。

ふだん観ない人なので、これから書くことは
アニメに詳しい人にはプンプン😤かもしれませんが、
想うところを率直に伝えちゃうと、

今の日本のアニメと観る人(日本在住)の関係って、
幼児から死ぬまでの間、下の図のようになっていると
想うんです。

小さい頃に観るのは以下の3系統。

1.童話系ファンタジー
  (例 となりのトトロ、千と千尋の神隠し)

2.ガキ系感動もの
  (例 SLAM DUNK、鬼滅の刃)

3.恋愛系小説もどき
  (例 新世紀エヴァンゲリオン、君の名は。)


それぞれに良さがあり夢中になりますが、
大人になるほど卒業…すると思いきや、
この3系統をすべて盛り込んだ『ドラえもん』類を
テレビでダラダラ観て、孫ができそうな年になると
習慣で『サザエさん』類を観続けて一生を終える。

それが日本のアニメ…な気がするのです。

観ていても何かを感じるでもなく、
(少年少女の頃は感じたけど)
ストーリーは内向的で、結末は予定調和で、
(例 サザエさんの食卓の笑いのシーン)
観ても観なくてもどうでもいい。

それがアニメだと、わたしは思い込んでいました。

漫画でいうと、白土三平さんの『カムイ外伝』
(:読むほどに、侍と農民、農村等を感じちゃう)
のような事はアニメを観ても自分の中に起きないと
勝手にあきらめていたのです。

でもそれが間違っていることに
『ディリリとパリの…』は気づかせてくれました。

ですから偏見に囚われず、

アニメ大国、日本に
新しい風が吹く日を待とうと思います。

               矢嶋 剛